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RGN#2

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 コンピュータ・ゲームのデザインと物語についての研究会
 http://www.glocom.jp/event/modules/eguide/event.php?eid=3
 2006/06/03 Glocomにて。
 
 @report pages
 http://d.hatena.ne.jp/junkei/20060603
 http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20060603#p1
 http://d.hatena.ne.jp/Chaborin/20060603/1149321940
 
 @レポート
 書いた人:中田吉法(GameDeep主宰)http://white.niu.ne.jp/
 
 基本的にメモの段階だが、まとめ直し敢行中。ツッコミは大歓迎。
 ----
  * 主発表者
    * 田中治久(hally) vorc.org主宰 http://www.vorc.org/ http://d.hatena.ne.jp/hally/
    * 牛島正道 (共同発表者) 東京大学大学院 学際情報学府 社会情報学専攻 安富歩研究室所
  * 副発表者
    * 伊藤悠 http://homepage1.nifty.com/~yu/
  * パネラー
    * 長健太 フリーシューティングゲーム ABA Games主宰 http://www.asahi-net.or.jp/~cs8k-cyu/
    * 中嶋謙互 gumonji開発者。http://www.ce-lab.net/ringo/
    * 田中孝太郎 dotimpact http://realtimemachine.sakura.ne.jp/
    * 井上明人 RGN主催者、司会 http://www.critiqueofgames.net/
 
+ * 超ぶっちゃけたまとめ
+   * Jesper Juulのゲーム定義の紹介 => Juulのゲーム定義
+   * Juulのゲーム定義の問題点
+     * 定義的にはゲームでないものを人がゲームとして遊んでしまうことがある。
+       ex. 絶対に勝てないように細工されたスロットマシン
+     * 構造論的なJuulの定義ではこれに対応できない。行動論的なアプローチが必要
+     * 「ゲーム行動」とでも言うべきものがあるのではないか。  
+
 お題「ゲームの定義を再検討する」
 @@なぜ、ゲームの定義の再検証なのか 井上
 研究者向け:単語に対する一定のコンセンサスを作る
 開発者/消費者向け:「ゲームとは何か」に対する見方の整理
 
 @@@具体的な研究例
  * システムへの着目 Jesper Juul
  * プレイヤー意識への着目 Raph Koster
 
 @@@Rule / Unwritten Rule
 Stephen Sniderman
 ゲームには「明記されていないルール」がしばしば含まれることがある。
  * ルールを記述することの困難
  * ゲームの持つ文化的要素
 
 遊び(Play)とゲーム(Game)
 
 これらを考えていくことにより、
 <b>ゲームという広大な領域を区分けしたり統合したりするための土台となりうる</b>
 
 @@主発表:ゲームの定義を再検討する 田中治久/牛島正道
 @@@ ノミック
 http://www.earlham.edu/~peters/nomic.htm
 ルールを自己再定義していくゲーム。
 
 @@@ミニマムノミック
 http://www.jaist.ac.jp/~m-hatake/bre.htm#nomic
 ルールの自己再定義部分だけに初期ルールを絞ったバリアント。
 初期条件が提示されていないなど、ゲームとしての体裁すら整っていない。
 
 @@@ミニマムノミックを実際にやってみた
 書記しようとしてみたが破綻。途中からあきらめて点数計算者にシフト。
 ==> MinimumNomicLog
 
 プレイしてみた結果:オーディエンスの大半は「これはゲームだ」と感じた。
 
 だがミニマムノミックは本来の定義的にはまったくゲームでない。
 私たちはそんなミニマムノミックを「ゲームとしてプレイ」できてしまう。なぜか?
 @@@ゲーム定義のこれまで
  * Robert Stewart Culin (1858-1929)
    文化人類学の見地からゲームと意味の構造を見出そうとした。
  * John Von Neumann (1903-1957)
    ゲーム理論
    * <i>(ここにこれが出てくるのにはちと疑問が。重要な研究ではあるけど「定義」とは解離している)</i>
  * Johan Huizinga (1872-1945)
    文化論としての遊戯論 その枠組みの中でゲームの本質にも迫ろうとした
  * "Games in Culture"(1959) John Milton Roberts, M.J. Arth and R. R. Bush
    近代的なゲームの定義
   「ゲームとは次のような性質を持つ娯楽行動として定義される:
     (1)組織化された遊び
     (2)競争
     (3)ふたつ以上の勢力
     (4)勝者決定の基準
     (5)取り決められたルール」
  * "Rules of Play" (2003) Katie Salen and Eric Zimmerman
    過去の様々な定義を比較・検証
  * Jesper Juul "The Game, the Player, the World" (2003)
    Rules of Playの方法論を踏襲・発展 おそらく現時点で最も効果範囲が十分で実際的な定義。
 
 @@@Jesper Juulによるゲームの定義
 Juulのゲーム定義:
 <blockquote>
TreeStore::Object=HASH(0x5556750b2f78)
</blockquote>
 
 Juul定義のポイント
  * ゲームとそうでないものの差異を明確にしようとしたはじめての定義
  * ボーダーラインケースを設け、定義を無理なく広範囲に適用
  * 定義の拡張可能性を提唱
 
 @@@Juul定義の批判的検討A 「ゲーム行動」
 Juulの定義は静的・構造主義的な枠組みのもの。
 ノミックのように「ゲーム」と「ゲームでない」を行ったり来たりするものには適用困難。
 
 @@@@ゲーム行動
  * 「ゲームなるものが機能するためには、ゲームのルールによって起こりうる結果に差異をもたらさなければならない。これだけなら非常に簡潔明瞭だが、ゲームが<b>ゲーム行動</b>として機能するためには、さらにプレイヤーのスキルとも適合していなければならない」 (Juul)
  * 定義論的にゲームであるはずのものが、プレイヤーの立場次第ではゲームとして成立しないことがある
 
 「結果が変化しうるかどうかは、誰がプレイするかによる」(Juul)
  * 普遍的なシステムとしてのゲームと、個人が認知・体験するゲームとの切り分け
  * ゲーム行動とはつまり後者
  * ゲームは攻略され尽くしてしまうと、単に面白くなくなるというよりは、性質的にゲームであることを止めてしまう。
    * ex. チクタクツー(いわゆる○×ゲーム)
 
 Juul定義をミニマムノミックにあてはめる:第一項以外は流動的。第一項もかなり危うい。
 
 そもそもミニマムノミックのプレイヤーは「今この瞬間はゲーム」「今はゲームでない」という二元的な判別をしない。どちらかの認識を持続的に保つはず。
 「競技である」という前置きがなかったら、ミニマムノミックをゲームとして認識できるだろうか?
 
 @@@@その他Juul定義に抵触しそうなケース
  * 絶対に勝てないように細工されたスロットマシン
  * 途中で必ずクラッシュする試作版のゲームソフト
 どちらも定義的にはゲームでない。しかし、イカサマ/バグだと気付くまでプレイヤーにとってはゲームに思える。そこまでのプレイ体験はまともなゲームであった場合と変わらない。
 
 @@@@「ゲーム」と「破綻したゲーム」の違いはどこに?
  * チクタクツーといかさまスロットについて考える。
  * どちらもプレイの全体像がわかってしまうまではゲームとして機能する
  * どちらもプレイを重ねることで数値化可能な結末にたどり着けなくなることを知らされる
  * しかし片方はゲームと呼ばれ、片方はボーダーラインケースですらないかもしれない
  => このへんに、システム論としてのゲーム定義の限界がある。
 
 ゲーム行動は、定義論的にはゲームでないシステム下でも成立する。(いかさまスロット)
 逆に、定義を満たすゲーム下なのに成立しないこともある。(チクタクツー)
 
 するとゲームプレイとは、「ゲームかもしれないシステムのプレイ」「ゲームと確認されたシステムのプレイ」の両方なのか? 両者の違いはプレイ体験を通じてしか確認できない。
 
 @@@@メタファーとしての「ゲーム」
  * 「これはゲームですよ」と説明することで非ゲームを一時的にゲームとしてプレイできてしまう
  * Ungame : ゲームではないことを示すために、逆説的にゲームという概念を用い、それに沿ってプレイを体験させる
  * ゲーム定義の拡大は、このようなシステム理解からも起こりうる
 
 @@@Juul定義の批判的検討B 「決定されたルール」
 (追記予定)
 @@@ゲーム定義の再検証
 (追記予定)
 
 @@副発表:理解力のフライホイールたるゲーム / 伊藤悠
 身分:プランナー http://homepage1.nifty.com/~yu/
 
 @@@ゲームを売るってどういうこと?
 人類の三大欲求を売るという方向性
 *エロス
 *スピード
 *暴力
 
 でもそれ以外の方向性もある
 
 @@@仮説を立てそれを実践しその有効性を確認する過程を売る
 例:STGの弾避け、CRPGの戦闘、アクションゲームの行動
 
 @@@なぜそれを買う?
 なぜ「仮説・実践・確認」という過程が売り物になるのか。
 それは、人間には「理解したいという欲求」が根源的に存在するから。
 
 @@@「解発行動」
 例:
 ・犬が棒を取ってくる
 ・ムクドリが棒をつつく
 ・猫がネズミにスニーク&アタック
 
 実験として、猫に大量の(生きている)ネズミを与えてみる。具体的には部屋いっぱい、放っておくと膝ぐらいまで這い上がってくるぐらい。
 
 最初は普通どおり「猫はネズミを殺して食べる」
 しかし次第に猫の行動が変化していく
 猫がネズミを殺すが食べない→猫がネズミを捕まえるが殺さない→猫がネズミを追うが捕まえない→無反応
 
 この結果から考えると、「猫がネズミを殺して食べる」というのは、「空腹→何か食べたい→だからネズミを捕らえる」という整然とした論理に基づいたシステムではなく、もっと単純なトリガーの連鎖である可能性が考えられる。
  「うろちょろしているから捕らえる」
  「もがいているから殺す」
  「死んでいて(お腹がすいているから)食べる」
 
 @@@人の解発行動
 人は「理解する」という解発行動を持つ。
 
 人間の行動・生業は他の動物に比べて多様
 だから色々なものに対処したい=理解したい
 
 理解したいという欲求があるなら、「欲求=需要=市場」である。
 したがって、人に欲望を売りつけるのが仕事のゲームプランナーとしては「理解を売る」ことになる。
 すなわち、「仮説を立てそれを実践しその有効性を確認する過程」を売る。
 
 @@@どう売るか
 いかに巧みに理解されていく構造を組むか
 
 @@@CRPGのリソースマネージメント
 CRPGには大量のリソースがある。
  回復アイテム、経験値、お金、敵の数、経験値効率?、敵の残HP、etc.
 
 それらを考慮に入れながら、敵との戦闘に望む。
 
 「モンスターの階段」押井守,1990
  * 未知の敵に出会うと、最初はなかなか勝てない。
  * なかなか勝てない>理解しようと努力する>PLスキルが急速に成長する
  * 同時にPCのLvもあがるので、やがて楽に勝てるようになる。
  * 楽に勝てるようになったころには新しい場所へ行き、新たな未知の敵に出会う
  * 繰り返し
 
 「ゲート付階段」(ボスで死んどけ) ざるの会,1992
  * 未知の雑魚敵ごときでは苦戦しないプレイヤー対策
  * 階段を昇るところに「ゲート」として中ボスを置いておく。
 
 これら階段機構からCRPGの戦闘を眺めると…
 戦闘後に得られる数値が報酬? → NO!
 数値の上昇はプレイヤーを次の段階に蹴り出すための調整機構である。
 
 @@@まとめ
 売れるものとは「人間にちょっと考え込ませてわかるぐらいのしろもの」である。
 
 @@@+α
 「ちょっと考え込ませてわかるぐらい」というのを意図して作るということは、
 制作側側でも理解ぎりぎりであるという危険性がある?
 したがってゲーム制作とは結構あやうい商売
 …かもしれないがまあ根性でなんとかする。やりがいはある。
 
 @@ディスカッション
 <b>hally</b>(今回の発表についての補足的なものを求められて)
  個人的な問題意識としては、ゲームの起源を考えたいと思っている。その一環として、ゲームの定義について目を向けてみた。
  発想の原点のひとつに20世紀初頭に(米軍で?)使われたレーダーシミュレーターがある。シミュレーターはゲームかどうか疑わしいと思っているのだが、このシミュレーターで訓練を行った人々は「楽しかった」という旨の発言を残している。
 
 <b>中嶋</b>
  話が広範囲を相手にしすぎていて、困難になってしまっていると思う。
  話をコンピュータゲームに限ってはどうだろう?
 (というこの発言で、話がぐだぐだになりはじめた。このツッコミ自体は悪くないと思うのだが、開始直後というタイミングが悪すぎ。もう少しhally氏の発表の中身を吟味してから切り出されたなら、いろいろ面白い話になったのだと思うけど…)
 
 <b>hally</b>
  それはコンピュータゲームと非Cゲームの境界問題が浮上するだけ。
  そもそもコンピューターゲームというドメインに本当に限る必要があるのか?
 
 で、hally氏&中嶋氏&長氏を中心にコンピュータゲームの定義論についてあれこれと。
 が、はっきり言ってぐだぐだだったので割愛
 
 dotimpact:
  非コンピュータゲームはほとんどが完全情報ゲーム。
  対してコンピュータゲームというのは大部分が本質的に不完全情報ゲーム。
   ex.脱衣麻雀 麻雀模しているが、実際はコンピュータがルール(乱数等)に介入している
 
 中嶋:
  ゲーム管理者が介在すれば非Cゲームでも不完全情報ゲームを行うことは可能なはず
   ex.軍人将棋
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 ここで一旦休憩。が、休憩時間中も議論は続く。
 コンピュータゲームの繰り返し可能性なんかについての議論は、むしろ本筋でやるべきだったんじゃー、という話だった:別に避けSTGみたいなことは現実でもできる。水の塊を放り上げて落ちてくる水滴を全部避けるとか、銃弾の雨あられの中を全てかいくぐってみせるとかで。しかし現実のそれらは再現性=パターンがない。パターンを忠実に繰り返せるのはコンピュータの強みで、それはゲームプレイの持つ「仮説・実践・確認」の流れと非常に相性が良い。
 
 ここで折角なんでテーマを見た時点から用意はしてたが本筋にはきっと絡めるべきでないだろうなー、と思ってた質問をぶつけてみた。するとそいつが気に入られてしまったために、休憩後は再開は何故か私その質問からということに。
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 「なぜ先ほどのミニマムノミックではゲーム開始直後に『全員で勝つ』提案」が行われなかったのか。ゲーム理論的にはそれが最も合理的な行動なはずだ。
 <b>長</b>
  人間はそんな合理的な行動はしない。
 (ここでオーディエンスから伊藤憲二氏が割り込み)
 <b>伊藤(憲)</b>
  それはまさしくSituated Play概念に相当する状況。プレイヤーにとってはゲームプレイ自体が目的であって、勝つことが目的ではない。
 <b>伊藤(悠)</b>
  「全員勝つ」では全員等価な勝利のゼロサムゲームになってしまう。
 
 このへんを受けてその後少々オーディエンスを巻き込んだ議論に。
 ゼロサムなのは「人間がやっている」から意識される事実だろう、という意見がなんとなく浮上。
 
 ひとしきり続いた後で、再び伊藤憲二氏が(要請されて?)発言を。
 <b>伊藤(憲)</b>(主発表に対する意見として)
  Juulの定義に対して「ゲーム行動」を唱えるなら、代案として、それを前提とした定義まで踏み込んで欲しかった。
  Situated Play:プレイされるシチュエーションにゲーム行動は支配される。ゲーム行動をシチュエーションから切り離すことは困難。
  最近のJuulの興味はカジュアルゲームに向かっている→まさしくSituatedな状況が対象
 
  ゲームの歴史を研究するなら、ゲームの定義はするべきでない(状況論的アプローチが必要)
  たとえばシミュレータをゲーム的に遊んでいた人々がいた、という事実に対して、それがゲームだったかという議論をするのはあまり価値がない。その事実だけ示せば歴史としては十分。
 <b>hally</b>
  Juulの提示した静的なものとしてではなく、動的なものとしてゲームを見るべきだ、という方向性を提示することはできたが、もう一歩までは確かに踏み込めなかった。
  シミュレータで「遊んでいた」人が「ゲームをしていた」というのは、後付けで「コンピュータゲーム」という領域が認識されたから可能な言及であるのでは、という疑問がやはりある。
 
 
 <b>中嶋</b>
  「とりあえずこのへん」でいいのでは? とにかく数を集めて「このへんがゲーム」と言えればいい。
 <b>hally</b>
  Juulの仕事はまさしくそのへんをやったのだと思う。集めてそこからまとめたのだろう。
 <b>中嶋</b>
  全部集まっているライブラリを作ればいいのでは?
 <b>dot.</b>
  ボーダーラインケースを集めていく、という方法は有用ではないのか?
 
 (ここらでまた流れがうだうだ&オーディエンスを巻き込んだ議論に。もう割り込み入りまくりでなにがなんだか…と言いつつ俺もトップクラスに暴れていたほうですが(汗))
 「面白い」「面白くない」をゲームの判断に入れてしまっているという混乱があるのでは?
 
 <b>伊藤(悠)</b>
  人間が「楽しい」と思うことは解発行動(=ゲーム)的に適応した行動である可能性がある。
 <b>新</b>
  人間にとっての「面白い」の定義があいまいなので、「ゲーム」についての議論において「面白い」を切り離そうという試みがJuulの試みだったのでは
 <b>中嶋</b>
  だったらこの議論自体時期尚早では?
 <b>hally</b>
  認知論的アプローチを持ち出せば「ゲーム」の枠が広がることになるだろうが、古典的ゲームがゲームの枠からはじきだされることはないだろう。
 
 ----
 そろそろ終了時間が迫ってきたこともあって、司会の井上氏がまとめに入る。
 まずは中盤以降発言がとみに減っていた長氏に話を振ってみる。
 <b>長</b>
  昨今のコンピュータゲームシーンには「ゲームらしいゲーム」の衰退、ボーダーラインケースへの拡散という傾向があると思う。
  学習という面白さ(の提供)が減っている。重要なのはルールを把握していく課程が重要で、それが成立するなら既に見切られたゲームでも十分ゲームとしての価値を持つだろう。「(チクタクツーを例に言っていた)攻略されつくしたからゲームでなくなる」は承服しかねる。
 <b>hally</b>
  「目の前のペットボトルを取る」なども本来はゲーム的な行動であるはずだ。われわれは熟練しすぎていてそれをゲームと思わない。(たとえば3歳児にとってはゲーム)
 <b>長</b>
  確かに。あるいは空中で回転させてキャッチ等の困難な取り方を要求されればそれもゲームかもしれない。
 
 (ここで(確かオーディエンスから)以下のような意見が出る)
 「MMORPGなどに顕著だが、ルールが消費される傾向というのがあるのではないのか?」
 これに反応したのは伊藤(悠)氏
 <b>伊藤(悠)</b>
  イエス。コンピュータゲームにおいてルール(システム)は消費物的に扱われる。
  たとえばMMORPGではUOがほとんどの「消費されやすいゲーム」を消費しつくしてしまった。
  その結果、ほとんどのMMORPGは繰り返し可能な強みのある戦闘成長システムを主幹にするほかなくなた。
  耐久力のあるシステムこそがゲームデザインとしては生き残る。ex. CRPG、2D/3D格闘
 
 ここで時間が来たので今度こそ本当に井上氏によるまとめ。
 <b>井上</b>
  なにかを「ゲームとしてみなす」とはどういうことか、そのための道具立ては? その行為に価値はあるのか? という問題点が見えた、と思う。
 
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 事前から今回のテーマは劇薬だなあと思ってたけど、蓋を開けてみたら想像以上に劇薬でした。
 まあしかし、この会のぐだぐださ加減が「ゲームの定義」のあやふやさを逆説的に語っているとも思います。出てきた意見のそれぞれは大変興味深い見地が見られていろいろ刺激にはなりました。まあ「研究会」としてはまずまずの出来だったと思います。
 
 なお、次回は"GN"の軸のうちもう少し"N"に寄せた話を予定とのこと。
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