RGN#3
茂内克彦/増田泰子
「プレイヤーという存在」 プレイヤーキャラクター/プレイヤー圏/ゲームからの逸脱
13:25〜
パネル
- 茂内克彦(発表者)
- 増田泰子(発表者)
- 伊藤憲二
- 伊藤悠
- 田中治久
- 井上明人(司会)
プレイヤーキャラクターとプレイヤー体験.
茂内克彦(intara.net) http://www.intara.net/og/
プレイヤーキャラクター(PC).
ゲーム世界内のプレイヤーの化身。アバターと呼ばれることもある。
プレイヤーが(ある程度まで)操作することができる。
「主人公」とは異なる。主人公は物語の中心人物。PCが主人公になることもあれば、そうでない場合もある。しかし、一般に両者は混同されやすい。
PCの機能.
- 化身
- 道具
ゲームデザインとしてのPC:メタファ(比喩).
物語表現としてのPC:「あなたが主人公」言説.
物語表現としてのPC:堀井雄二の「プレイヤー=PC」主義.
→「プレイヤー=PC」という”常識”が形成される
さらに、「RPG=役割を演じるゲーム」という記述が文字通りに解釈される
物語表現としてのPC:RPGという呼称と、堀井主義の影響.
実際はPC=プレイヤーではない.
PCが勝手に動いてつまらないのは、勝手に動くことそれ自体の問題ではない。
演出手法や好みの問題。
PCとプレイヤーの関係.
ドラクエ1:エンディングでのみ、PCは発話する
ポートピア連続殺人事件:
だが、堀井主義がTVゲームのすべてなのだろうか?
-
PC顕在型
PCが画面に表示されている。スペースインベーダー、パックマン、等 -
PC潜在型
いわゆる一人称視点。カメラの手前にPCがいるという設定 - PC不在型
複数PC表現
- 切り替え操作
- 同時操作
多様な視点によるテレビゲーム表現.
エースコンバット04
1.PC メビウス1(パイロット)
2.サイドストーリー視点人物:少年
3.無線演出
抵抗戦略としてのゲームプレイ プレイヤーのrule-breakingとプレイヤー圏の成立.
増田泰子 http://homepage1.nifty.com/sawaduku/
発表の方向.
前回のRGN「ゲームの定義を再検討する」
Juulの定義の批判的検討
→ゲームの動的な側面からの再検討
:ルールの変化とゲーム行動の関係性に注目
ゲーム行動を行う主体への注目が必要では?
→ルールに対するプレイヤーの行為を中心に論じる
遊びにおけるルール.
コンピュータゲームにおけるrule-breaking.
プレイヤーの抵抗としてのrule-breaking.
抵抗の共闘の場としてのプレイヤー圏.
田中コメント.
- 「ゲーム行動が機能しなくなること事態が新たなゲームルールを誘発しうる」
「ルールを変えようとするとき」
- 意識的なrule-breakingのみが語られているが、無意識的、偶発的であることも
-
軋轢と無関係なルール変動の例
- ジャンケンの掛け声
前近代的rule-breaking
- そもそもルール伝達が口伝に依存する環境ではルールを一定に保ち続けることの方が困難
- 口伝ルールは長期的に見れば好むと好まざるとに関わらず変質していく
シャタル(モンゴル将棋)
- ルールはいまもって統一されておらず、地域、人、文献により異なる
- 1600年ごろにロシア人との交流が始まって以降、チェス化も進行。現在はそちらが主流
中世チェス
- 統一ルールはなく、地域ごとに異なるルールでプレイされていた(-15C)
- 印刷技術の普及によって、スタンダードルールが確立
ルールは元来流動的なモノ
合意なきルール運用と改変
-
近代的なルール管理機構(出版、機械装置、電子機器)の出現は流動性に強力なブレーキをかけた
だからこそユーザーは「抵抗戦略」を企てる、という見方もできそう
無意識的・偶発的な変更はCゲームでも起きるか?
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「美しいプレイ」「深みのあるプレイ」の価値はルールとの軋轢がなくとも、プレイヤーの心理に芽生えうる
- ノーミス、ノーダメージクリア
- 全キャラ制覇
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有名プレイヤーの名を騙った、実体のない地方ルールの蔓延
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「有名プレイヤーはバックダッシュしない」(VF2)など。
信仰じみたものであり、よりよきプレイと言えるのか疑問。
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「有名プレイヤーはバックダッシュしない」(VF2)など。
VF2のバックダッシュについて補足(伊藤悠)
ゲームシステム的に「強すぎる」行動であり、ゲーム展開を硬直させる行動でもあるので、あんまり使いすぎるのはどうよ、という合意形成が歴史的にあったと思う。
伊藤悠コメント.
To茂内.
主人公が無色の狂言回しでゲストキャラクターの側のドラマを見せる物語形式がある。
AC4で提示される無線演出はそれの類例ではないだろうか。
たとえばガンダムというか富野演出だったら「直接メビウス1に語りかける」だろう。
To増田.
議論からは、複雑系シミュレーターを特別扱いすべき。
それらでは、「ルールに従属するところからはじめ、学習し、超越し(システムを)破壊する」ゲーム。
ex. ガンパレードマーチ
極論としては、ハッキング、クラッキングでも良い(それでもプレイヤーはゲームを消費している)
あるいは「壊される」ことをデザイナー側が意識している場合もある。
D&Dのルール作成過程(エラッタによってルールの穴を塞いでいく)
伊藤憲二コメント.
To茂内.
先行研究が存在する:Fine(?) によるTPRGについての研究
(TRPGでは)プレイヤーがいつもPCのレベルにいるわけではない。
TRPGのプレイヤーは「キャラクター/プレイヤー/人間」の3つのレベルの間を揺れ動いている。
グローバルな「読み手」と「視聴者」の関係とも相似しているので、なにか先行研究があるだろう。
「見られる存在」についての着目は独創的。
Fine/安川の研究では「操作される存在」としてのPCにのみ着目
プレイヤーがPCを操作しているからといって、同化しているとは限らない。
たとえばチェスの駒に感情移入することはあまりない。
「プレイヤーは様々な視点を使うことができる」が、その選択の主導はプレイヤーなのかデザイナーなのか。発表の前半ではデザイナー主導を意識していたが、発表の後半ではプレイヤーが主導しているような言及をしている。
To増田.
プレイヤーないしユーザーがゲームの発展に果たす役割というのがある。
そういう視点での研究例もある
- modderについての研究
- RPGツクールについての研究
ゲーム内容を作る役割をプレイヤーにも担ってもらう。プレイヤーもデザインに参加していく。
なぜ「従属」「抵抗」と言わなければならないか?
→開発者が独裁者であるかのような関係性を想起させる。
「ルールを変えること」それ自体がゲームとして成り立つのではないか?
- モノを作る満足感などにもつながるのではないか。
井上コメント.
ポートピアは「堀井主義」とはやや趣を異にしていないか?
PLとPCの関係を強烈にコントロールしようとする「堀井主義」に対してみると、
ふたりの発表はこれにたいするカウンター的なものになっていると思う。
だがその解決の方法は異なる。
PL・PCの多重性のようなものがあったときに、
増田:rule breakingによってこれに抵抗…というかルールを支配していく積極的なプレイヤー
茂内:その多重性や関係性自体を表現と見ている。軋轢とか解消する必要がない方向(物語主導視点)