[ index | GD# | GameDeep Ad-hoc ]

RGN#3

履歴閲覧: {最新} 2006/07/29


茂内克彦/増田泰子
「プレイヤーという存在」 プレイヤーキャラクター/プレイヤー圏/ゲームからの逸脱
13:25〜

パネル

プレイヤーキャラクターとプレイヤー体験.

茂内克彦(intara.net) http://www.intara.net/og/

プレイヤーキャラクター(PC).

ゲーム世界内のプレイヤーの化身。アバターと呼ばれることもある。
プレイヤーが(ある程度まで)操作することができる。
「主人公」とは異なる。主人公は物語の中心人物。PCが主人公になることもあれば、そうでない場合もある。しかし、一般に両者は混同されやすい。

PCの機能.

ゲームデザインとしてのPC:メタファ(比喩).

物語表現としてのPC:「あなたが主人公」言説.

物語表現としてのPC:堀井雄二の「プレイヤー=PC」主義.

→「プレイヤー=PC」という”常識”が形成される
さらに、「RPG=役割を演じるゲーム」という記述が文字通りに解釈される

物語表現としてのPC:RPGという呼称と、堀井主義の影響.

実際はPC=プレイヤーではない.

PCが勝手に動いてつまらないのは、勝手に動くことそれ自体の問題ではない。
演出手法や好みの問題。

PCとプレイヤーの関係.

ドラクエ1:エンディングでのみ、PCは発話する
ポートピア連続殺人事件:

だが、堀井主義がTVゲームのすべてなのだろうか?

複数PC表現

多様な視点によるテレビゲーム表現.

エースコンバット04

1.PC メビウス1(パイロット)
2.サイドストーリー視点人物:少年
3.無線演出

抵抗戦略としてのゲームプレイ プレイヤーのrule-breakingとプレイヤー圏の成立.

増田泰子 http://homepage1.nifty.com/sawaduku/

発表の方向.

前回のRGN「ゲームの定義を再検討する」
Juulの定義の批判的検討
→ゲームの動的な側面からの再検討
:ルールの変化とゲーム行動の関係性に注目

ゲーム行動を行う主体への注目が必要では?
→ルールに対するプレイヤーの行為を中心に論じる

遊びにおけるルール.

コンピュータゲームにおけるrule-breaking.

プレイヤーの抵抗としてのrule-breaking.

抵抗の共闘の場としてのプレイヤー圏.

田中コメント.

「ルールを変えようとするとき」

前近代的rule-breaking

シャタル(モンゴル将棋)

中世チェス

ルールは元来流動的なモノ
合意なきルール運用と改変

無意識的・偶発的な変更はCゲームでも起きるか?

VF2のバックダッシュについて補足(伊藤悠)
ゲームシステム的に「強すぎる」行動であり、ゲーム展開を硬直させる行動でもあるので、あんまり使いすぎるのはどうよ、という合意形成が歴史的にあったと思う。

伊藤悠コメント.

To茂内.

主人公が無色の狂言回しでゲストキャラクターの側のドラマを見せる物語形式がある。
AC4で提示される無線演出はそれの類例ではないだろうか。
たとえばガンダムというか富野演出だったら「直接メビウス1に語りかける」だろう。

To増田.

議論からは、複雑系シミュレーターを特別扱いすべき。
それらでは、「ルールに従属するところからはじめ、学習し、超越し(システムを)破壊する」ゲーム。
ex. ガンパレードマーチ

極論としては、ハッキング、クラッキングでも良い(それでもプレイヤーはゲームを消費している)

あるいは「壊される」ことをデザイナー側が意識している場合もある。

D&Dのルール作成過程(エラッタによってルールの穴を塞いでいく)

伊藤憲二コメント.

To茂内.

先行研究が存在する:Fine(?) によるTPRGについての研究
(TRPGでは)プレイヤーがいつもPCのレベルにいるわけではない。
TRPGのプレイヤーは「キャラクター/プレイヤー/人間」の3つのレベルの間を揺れ動いている。

グローバルな「読み手」と「視聴者」の関係とも相似しているので、なにか先行研究があるだろう。

「見られる存在」についての着目は独創的。
Fine/安川の研究では「操作される存在」としてのPCにのみ着目

プレイヤーがPCを操作しているからといって、同化しているとは限らない。
たとえばチェスの駒に感情移入することはあまりない。

「プレイヤーは様々な視点を使うことができる」が、その選択の主導はプレイヤーなのかデザイナーなのか。発表の前半ではデザイナー主導を意識していたが、発表の後半ではプレイヤーが主導しているような言及をしている。

To増田.

プレイヤーないしユーザーがゲームの発展に果たす役割というのがある。
そういう視点での研究例もある

ゲーム内容を作る役割をプレイヤーにも担ってもらう。プレイヤーもデザインに参加していく。

なぜ「従属」「抵抗」と言わなければならないか?
→開発者が独裁者であるかのような関係性を想起させる。

「ルールを変えること」それ自体がゲームとして成り立つのではないか?

井上コメント.

ポートピアは「堀井主義」とはやや趣を異にしていないか?

PLとPCの関係を強烈にコントロールしようとする「堀井主義」に対してみると、
ふたりの発表はこれにたいするカウンター的なものになっていると思う。

だがその解決の方法は異なる。

PL・PCの多重性のようなものがあったときに、
増田:rule breakingによってこれに抵抗…というかルールを支配していく積極的なプレイヤー
茂内:その多重性や関係性自体を表現と見ている。軋轢とか解消する必要がない方向(物語主導視点)


This page linked from [ ]