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「ポスト・モダン・モンスターのある世界」というモンスター

連載版.

vol.13から連載、しようとして挫折して概要だけ書いていいわけ原稿をでっち上げました。
万が一完成すると「コンピュータという軸を通して20世紀を総括する」みたいな大論文になりそうです。っていうか、工学系のエンジニアが書く文章じゃねえよ、という気がひしひしと。

vol.12掲載版.

作:中田吉法 掲載:vol.12 著作権特集号

「コンピュータ=ポストモダン」という発想を軸に著作権と絡めた1P原稿。
可能な限りにいろんな示唆を突っ込んだつもりなので、なにかを読み取っていただければ幸い。
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 コンピュータというのは、ポスト・モダンの化け物みたいなシロモノだ。
 そんなコンピュータがブラウザ上に絵を表示することを考える。まずはサーバ上でハードディスク→メインメモリのコピー。次にデータはバラバラにされてネットワークを流れるパケットになる。パケットは経路上のコンピュータ上を何度も何度もコピーされ目的のコンピュータに辿り着く。そこでメインメモリ、グラフィックメモリ、ディスプレイ上とコピーされ、ようやく我々の目に届く。
 出鱈目な回数のコピー。コピー=著作権の侵害であるとすれば、コンピュータは出鱈目な回数の著作権侵害を当然のように行う装置だ。
 そしてこの出鱈目さは、「本来」の意味や機能をずたずたに引き裂き、転用し援用しぐちゃぐちゃに組み合わせて思いもよらないたらめを産んでは「新しい」と騒ぎ立てるポスト・モダンという極めて「いいかげん」なムーブメントと通底している。
 いわば、ポスト・モダンの権化とも言うべき道具がコンピュータだ。

 モダニズムが規格化と大量生産による効率化であるならば、コンピュータは全く逆のことを行う。規格化された部品の組合せでありながら個々のコンピュータは規格化とは反対に合目的的な多様化を果たすし、その上で行われるのは極めて個人的な生産行為(の効率化)だ。
 本、CD、映画、音楽。モダニズムによって多人数による大量生産を義務づけられきたそれらは、コンピュータによって小人数による小量多品種生産の道を開かれつつある。

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 コンピュータはその出鱈目な多様性と効率をもって、様々なものの前提を破壊し続けるだろう。いかな単純労働にも必要となる一抹の知的判断という人間の独壇場を侵害し、労働という有史以来の社会の必然を破壊し、ために経済というものですら破壊するかもしれない。

 たとえば大量生産の渦の中「文化の多様性の維持」などを目的として制定された再販制度なんてコンピュータの前にはあっさり不要となる。P2P配信系は良くも悪くも(採算不整合によって)絶版と化したあれやこれやの保存と閲覧性の確保に多大な効果を発揮することを証明してしまった。
 コンピュータがもたらす結合効果による匿名的著作物の発生、流通コストの極端な低下、その他著作物とそれを巡る諸権利が想定していない様々な事象が立ち現れつつある現状がある。

 いずれ人間に残されるのはより高次の脳の機能――創造という作業になるだろう。それとてコンピュータという道具を共に行われ、なれば現在の著作権なるモデルもまた崩壊せざるを得なくなる。我々がコンピュータという道具と共にあろうとする限り、著作権というものは変革せざるを得まい。
 あるいは高々数世紀の間には、コンピュータが創造を果たしそれを「誰」の著作物として認めるべきかなどという議論にすら直面することになるのかも、しれない。


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