これは、「ノベルゲーム」というものが、ノベルゲーム以外のなにものでもないことを示すべく、「ノベルゲームと何か」を比較していくという文書である。この文書は、一応発表時点で完成されたものであるが、常に更新される可能性を持つ。
「ノベル系」「ノベル型」と呼ばれるタイプの、ゲームがある。
一般に、「アドベンチャーゲーム(以下ADVと略記)」のサブジャンルとして認識されている。だが、ADVのうち、どのようなものがノベル系・ノベル型であるのかの明確な定義は、ない。
発売元のジャンル呼称、画面表示形式、演出傾向、ストーリー性の含有度――様々な区切り方があるが、どれも決定的なものではない。傾向を取るのなら、「選択肢が少なくテキストへの依存性が強いもの」がこのタイプに分類される。(*1)
もともとADVというものは、D&D(R)などを代表とするロールプレイングゲームを元に産まれ発展してきたものである(*2)。最初は人間相手だったものが、キーボードによるコマンド入力になり、やがて選択式にとって変わられた、という経緯がある。
だが、外面の方式が変わっても、根本的な部分は変わっていない。「状況に対してどのような行動を取るか」を決定する方法が、変化しただけのことだ。そして、その「行動選択のゲーム」とでも呼ぶべき部分が、ADVをゲームたらしめる中心要素だった。
プレイヤーは、登場するキャラクターになりかわり、行動を選択する。表示される絵や文や音は、行動選択を成立させるためのルール・情報であり、そのための役割を要求されるものだ。そのこともあって、ADVは独特の文法とでもいうべきスタイルを発展させてきた。
ところが、ノベル系ゲームはこの根幹を大きく崩した。ADVを「ゲーム」たらしめていた行動選択は大きく排除され、ごく簡単な分岐選択程度に押し込まれた。
そして同時に、ノベル系ゲームは、「行動選択のゲーム」を成り立たせる必然からも解放された。
もちろんそれ以前にも、選択肢の極端に少ないADVというものは存在した。けれど、紙芝居ゲームなどと揶揄されることもあるそれらは、ADVの文法をも捨てていたわけではない。
だがサウンドノベル、およびビジュアルノベルは、ADVの文法を無視した。それは、参入して選択を行なう「遊び」ではなくなった。そして、新たな文法――「ノベル」、すなわち小説的な文法を導入し、「読みもの」のようなものへと、変貌したのである。
登場時、「ノベル系ゲームはデジタルメディアで読む小説だ」などと評されたりもしていた。
だが、それは本当だろうか? いかに小説的な文法を導入したとはいえ、それは「ゲーム」と分類されたインタラクティブメディア(手前味噌な分類で言うなら「ゲーム表現」)である。
小説的な映画があったとして、スクリーンに文字が出てくるだけのものではないだろうと想像できるように、小説的なゲームというものも、やはり小説ではない。
小説においては、状況を確実に伝達する手段は、唯一文章のみである。ゆえに、確実に状況を伝達したければ、描写を文章として書く必要がある。たとえば、こんなシーンを準備してみた。
例1: 「それっ!」 威勢のいいかけ声と共に、彼女は水に飛び込んだ。 跳ねたしぶきが、俺の体に襲いかかる。 「なにすんだよ」 小言を上らせた俺の口は、そこで止まった。 すっかり濡れた彼女の体に服が張り付いていて―― 「スケベ」 からかうように笑いながら、彼女はTシャツを脱ぎ捨てた。 あらわれた水着姿にがっかりしながら、それでも胸の鼓動は、 おさまりそうになかった。
しかし、ゲーム表現は、 複数の表現レイヤーを持つものである。たとえば音、たとえば絵、たとえば文章。そういったものの複合で表現する能力を持つものである。
以下は、先ほど小説的に描写したシーンを、ゲーム的なスクリプトに変換したものの一例だ。
例2: 「それっ!」 (画面揺れ -< ブラックアウト -<水しぶきの音) (メッセージウィンドウ白紙に・クリック待ち) 「なにすんだよ」 (メッセージウィンドウ白紙に・クリック待ち) (画面切り替わり、服が濡れて張り付くグラフィック、IN) ……。 (メッセージウィンドウ白紙に・クリック待ち) …………。 (メッセージウィンドウ白紙に・クリック待ち) 「スケベ」 見とれていた俺をからかうように、彼女が言った。 (画面切り替わり、服を脱いだ水着のグラフィック、IN)
ここでは、小説にない以下のような表現が用いられている。
これが、静的な文面しか持たない小説と、それぞれ動的な複数の表現を扱えるゲーム表現の違いだ。
ゲームの文章がそのまま小説になりえることは稀である。小説では文章に織り込まれる様々な表現が、ゲームでは他の形で表現される。だから、文章だけを見るなら、小説に必要な表現が削ぎ落とされる形になっている。
では、それら別レイヤーの表現を、文章に「置き換え」れば小説になるのだろうか?
回答は、Yesでもあるし、Noでもある。
置き換えが、単純な置き換えだったならば、Noだ。
たとえば音楽。恐怖や躍動など、 音楽による盛り上げで効果的に見せたシーンがある。これを文章に移すためには、相応に効果的な文書を書き連ねる必要がある。
絵にしたって、同じことだ。構成の中で表現がどのように用いられているか、それを認識した上で置き換えていく作業が必要となる。
だが、そうした置き換えが、置き換え以上のものを要求する場合もある。
たとえば。ガンアクションの映像を文章化してみることを考えよう。
最初に結論を言おう。ガンアクションの面白さを表現するのに、文章では映像に勝てない。勝てるはずもない。ガンアクションの面白さはまさにアクション――「動き」の中にあり、動きを見せるのに映像にかなうものはほとんどない。
では、それに立ち向かう文筆家はどうすべきか。多くの場合用いられるのは、比喩の多用である。インパクトのある比喩を用い、文章それ自体を面白くする。
あるいは、別の要素を導入することもある。アクションの中には直接現れない心理の動きを描写する、などだ。
これは、再構成と言ってもよい作業である。より小説という媒体に適した形に、表現自体を変化させる。あるいは、独自の解釈を加える。
なにも、小説とゲームの間に限った話ではない。映画、漫画、音楽、etc. メディア変換とは、翻訳と同じ作業だ。両方の特性を良く把握し、元メディアでしか表現できないことを、なんとか別メディアに移植していく。ときには欠損を補うため、創造的な仕事を要求される。
そしてそれぞれに、高度に複雑な技法が存在する。優れた漫画の絵が、優れた絵とまったくイコールでないように、ゲームと小説に要求される文章は、違う。
と、ここまでが「ゲーム」と「小説」の文章の違いについての話だ。
長々と説明しておいたことを無駄にするようでなんだが、実は「ノベル型ゲーム」の文章は、小説の文章とはそう変わらない。
抜き出せば、一応小説として読める。状況が絵や音で説明されていても、更に文章でも説明されることも多い。
そりゃもちろん、文学賞を取れるほど素晴らしい小説ってわけでもないが、確かにノベルゲームの文章は、小説っぽい。
むしろ、「ノベル型ゲーム」と「小説」の重要な違いは、文章にはない。
小説の、メディアとしての特性を列挙するなら、静的/単方向的/受け手依存制御、といったところだ。小説は、端的に言うなら固定された文字の羅列である(静的)。また小説では、作品から読者にのみ情報が伝達される(単方向的)。しかしながら、文字を読み進めていく速度、ページをめくる頻度はは読者に依存している(受け手依存の制御)。
同様に、映像作品は静的/単方向的/メディア依存制御なものだ。
では、ゲームはどうだろうかというと、固定された特性を持っていない。あえて言うなら動的/双方向的/メディア側主体制御だが、結局は作り手の思惑次第だ。一応、ジャンルによって狭まるけれど、「ムービーの入ったシューティングゲーム」なんてのもある。
ノベル型ゲームではというと、ほとんど静的/いくらか双方向的/受け手依存性の高い制御、といったあたりに落ち着くか。これは、非常に小説に近い。実際、ほとんどのことは文章で提示されるわけだし、受け手からすれば「読みもの」としての印象が強い。
だが、これが変貌することがある。
効果的に表現するために、周囲に対して際立たせるという手法がある。モノクロ映画の中で一人色鮮やかな人物、暗転直後に一人にあたるスポットライト、静寂の中に響く悲鳴、なんかだ。
ノベル型ゲームがそういう手法をとるときがある。
音楽、絵、効果音、これまで文章に埋もれていたものが突如として併用され、マルチメディア表現へと変質する。普段はクリック応答を持つ文章表示が、システム側に掌握・制御されるようなケース(タイミングに合わせて、自動的にテキストが表示されるようになる)もみられる。
先ほどからのメディアとしての特性をベースに考えてみると、動的/単方向的/メディア側依存制御なものへと変貌するということになる。
確かに小説とノベル型ゲーム、両者で用いられるテキスト表現は似通った、姻戚関係にあるものだと言えるだろう。
だが、小説にはそれ以上の枠がない。小説には、文字以外の表現方法などない。ただただ直線の(あるいは平面の)上に文字を並べていく。例外的に、直線から平面に変貌する、あるいは平行する文書に展開する(ハイパーリンク小説)場合は見られるが、それとて直線的なテキストを捨てているわけではない。そもそも捨てられない。
だが、ノベル型ゲームは自ら枠を狭めているものである。通常は、小説という限られた枠(言葉)の中での表現技法を用いる。そしてときに枠を破壊することで一段強調した表現を行なう。むしろ、枠を破壊したときの姿こそ、ノベル型ゲームの本質なのかもしれない。