GameDeep

GameDeep座談会

世紀末の新世紀:ガンパレードマーチ

2000.12.30 GameDeep vol.3掲載
2001.02.01 GameDeep-Online掲載

中田:えーと、まずは参加者のプロフィールを自己紹介で、お願いしますね

雪駄:TRPGの幻想ゆえに。何よりも先ずゲームであることから逃れられないという不幸。それは幸福でもある。 ――なんて書かれてます、S.MA.P.の雪駄です。

C.F:哲学系シナリオ論者。えいえんを語りつづけて2年。多分一番年少なC.F.F.のC.Fです

jes:jesです。職業はゲーマー。ゲームの合間に人生やってます(笑)

中田:Whiteこと中田@筑波大です。いちおうGameDeepの主催、ということになってます。他にもいろいろやりすぎた挙げ句、今では放校間近、といううわさもありますが(--;


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振り返ってみると……

中田:今年の下半期は、ゲーマー的には基本的に不作の時期なんじゃないかと、思うんですよ。メーカー的には、PS2に乗り換えとかの影響があるのかな、と思うんですが。確かに、FF9とかドラクエとかも下半期ですけど、GameDeep的にはイマイチ話題になりにくい。

雪駄:私は最近エロゲーばっか見てて、コンシュマーのゲームってリアルタイムで追ってないんですよね

中田:最近の話題としては、ワンダースワンカラーってのがありますけど。

C.F:JAVA対応iモードとか、どうでしょうね?

中田:んー、ちょっと違うでしょ。確かに、面白そうですけど。

雪駄:ハードの話題なら、任天堂のGame CubeとかX-BOXとかGB Advanceとか。

中田:どれもまだ売ってませんってば(笑)

雪駄:携帯機だと、ポケステってのもありますね。

jes:ポケステは、「どこでもいっしょ」のおかげで、俺の周囲では持っている人が多いですね。

C.F:コミケの行列とかで結構見かけましたね。

雪駄:あれはときめきを与えてくれましたよね、色んな意味で。

jes:ポケステをとある事情で購入したのでやってみましたが、三日で飽きました(苦笑)

中田:えーと、失礼な言い方をさせてもらいますと、ゲーマー的に命を削ってやるもんじゃないからかな、と(笑) むしろ、日常にこっそり忍ばせるもの、ですよね。

C.F:携帯電話とかと同じですね。

雪駄:あれにはゲームに介入する、介入される面白さっていうのがありましたね。

中田:しかし、結局ポケステを有効に使えたのはあれ一本きりという感も……

jes:そうですね、他はポケステはおまけ、みたいな感じで

雪駄:ゲーム世界への介入の手段としては面白いと思うんですけどね。ダイレクトに本体と繋がってないのはネックでしょうけど、もっと色々できると思うんですけど。


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ゲームと視点

雪駄:それはそうと、上半期まで目を広げれば、いろいろ語りたいものはあるんですよね。クレイジータクシーとか。

C.F:クレイジータクシーは発想として面白かったですね。

jes:クレイジータクシーのためにDC買おうと思ってます(笑)

雪駄:セガガガとか(笑)

中田:それもまだ出てませんってば(笑) まあ、サンバ・デ・アミーゴあたりからですかね。近頃セガは、一発ネタ的なところが面白いですね。

雪駄:ルーマニア#203とかも、ですね。

中田:あとは、ぼくのなつやすみとかムジュラとかも語りたいですね。

雪駄:そのへんで共通して話題になるのは、ゲームへの視点、ですよね。ちょっとゲームへの視点って奴を整理してみますと、大きく分けて三つくらい。

プレイヤー=主人公としてゲーム世界をシミュレートする、ヴァーチャルリアリティ(VR)的な方向がまず一つ。

プレイヤーはあくまでプレイヤー、ゲームは勝負のルールでしかない、みたいなのが一つ。

あとは、主人公も含めてゲーム世界、そこに別世界から介入してるんだよっていう視点が一つ。

jes:ほとんどは、一番目の方向へ向かってますね。ハードの進化もその方向だし。

C.F:でも、VRって追求されると、ゲームの域を出てしまいそうな気が……

jes:ゲームとして記号化したほうが、かえってリアリティを感じるときもありますよね

中田:それは、リアリティよりは没入の問題だと思うんです。逆に言えば、没入さえできれば、みかけがリアルである必要はない。

雪駄:気持ち良く騙されたいんだけど、チープなオブジェで興が醒めてしまうなんてことがあった。そこで本物に限りなく近いオブジェを求めるのが、VR志向になるのかな。だけどオブジェが本物っぽければ良いというものでもない。

C.F:感覚的部分が秀逸なのって、却って没入を妨げますよね。余計なものに気がいってしまう。

中田:気持よくだましてくれるものって、世の中見ればあるんですよ。プロレスとか、香港映画とか。どっちもリアルとはほど遠いけど、没入させるなにかはある。

雪駄:どう騙すか、どう気持良くさせるかっていうのが大事ってことですよね。ということで、下半期のゲームとして、AIRを取り上げてみたいんですけども。


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AIRに見る発想の転換

雪駄:AIRのとった方法っていうのは、メタフィクション的だと思うんですが。

ゲームであることを駆使すれば「騙し」をもの凄く高められる。で、AIRってのは、高まった「騙し」を物語の演出に使ってる作品ですよね。

jes:AIRは…選択肢を選ばされてる、という感じがありました。だからですか、俺はAIRを凄くつまらないって思いましたね。

たとえばSUMMER篇とか、あれには「SUMMER篇に入る」以外の選択肢がないけど、まあ事実上入るしかない。そういう点、「選ばされている」という感じが…

中田:そこで、「選ばされてる」と感じる人には、やめてもらいたいんじゃないでしょうかね。

jes:そうですね(苦笑)

雪駄:AIRは、ゲームから生まれたけれど、飽くまで物語を語る手段ですよね。手段というか、表現、ですか。ゲーム表現。その中では「選ばされる」っていうそれ自体演出になっちゃってる。

中田:そこで思うことが、「もどかしい」なのか「不愉快だ」なのか。「もどかしい」になるように、あれこれ工夫はしてありますけど。 でも、選択をプレイヤーに任せるあたりが、表現ですよね。

jes:AIRでは選択なんかさせてもらえなかったように俺は感じるんですが…。

中田:いや、選べないことが表現なんです(苦笑) 選択肢があるようで、実はなくって、でも選ばせる。そこのところが表現。

C.F:たとえ選択肢が一つしかなくとも、選ぶという行為が重要という事ですか。

中田:そうです。

雪駄:選択させることで、PLに責任を強引に負わせるというか。

C.F:PLとの共犯関係をつくる、と。

jes:その点は理解しているのですが、肌に合わなかったんですよ。

中田:Airは、やり口が強引ですからね。肌に合わない人は当然出てくる。

雪駄:今ある殆どのシナリオ付きゲームって、クリアには責任を感じられないじゃないですか。GameOVERには感じるけど、クリアだと製作者の作ったレールを進まされた、みたいに思う。

クリアに責任を感じられない、じゃ、どうすれば遊び手にクリアした達成感を与えられるか? それを考えての試行錯誤がONEだったと思うんですよ。難しい選択肢を与えるとか、ですね。結果としては、達成感どころか疲労感を残すだけでしたけど。

でも、実験してみて、結局は製作者の思惑通りにPLを動かすしか出来ないんだっていう絶望みたいなのに行き着いたんじゃないかと思うんです。

なら、そのやるせなさを利用してやろうってのがAIRだったんじゃないかと。たとえば、SUMMER篇の最初、途中下車してもいいようになってるとかは、上手いですよね。

jes:途中下車出来るわけねえだろう!って思いますけど(笑)

雪駄:でも、途中下車することを否定しないんですよ。 そこで終わっても良いんだよって。先に進むのはお前の選択だよって。 先に何が待ち構えていようと、選ぶのはお前だよって。 で、進んだ結果、何も出来ない。

中田:なにもできないもどかしさを痛感させる、と。

雪駄:それって凄いですけど、酷いですよね。この上なくゲームを利用しているけど、ゲームの一番辛い部分というか限界を利用してますよね。

まあ、Airに対しては、発想の転換なんだろうけど、釈然としないものがあります。愛憎入り交じって凄い複雑な感情です。殺したいくらい愛しいというか。


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ガンパレード・マーチ

中田:と、発売前からの期待通り、AIRは賛否両論を産んだ下半期最大の嵐、となるはずだったんですが。ところがどっこい予想を覆す嬉しい悲鳴が上がったわけです。

jes:「ガンパレード・マーチ」ですね。

中田:はい。みなさん、それぞれに煽られたようで。

jes:「ネットで評判」とまだ未プレイだった雪駄に煽られて購入しました(笑)

C.F:雪駄さんのメールの翌日に本体、3日後にGPMを買って、今に至りまする。

雪駄:元々は私はなんかの非ゲーム雑誌で知ったんですよね。白黒ページに、なんでも出来る、という胡散臭い紹介文とゲーム画面の写真があって。なんか変なゲームなのかなぁ…と思ってたら、webの海で「出来ること一覧」に出会った。

中田:ゲーム系の雑誌では、1誌だけ、電撃PSがやたら力を入れて取り上げてますが。まだいいものを作ればメディアは応えてくれるんだ、と久しぶりに安心してます。

jes:ですね。

中田:取り上げかたに、ちょっと同人ノリが強いのが、複雑な気分なんですけど。 でも、ゲームそのものは堅実な作りが大前提ですよね。とにかくよく作り込んである。

C.F:小技が集積して、全体の仕上がりに結実してますね、視線システムとか、手動モードとか。

jes:発言力システムなんか、それ一つでゲームになりそう。

中田:でも、斬新な部分があるかというとそうでもない。派手な演出もないし、作りもストイックだし。それでいて、これは新しい、凄い! と感じる。

雪駄:新しいですけど、でもあれって今のゲームが忘れていた、本来向かっていたはずの方向って気もします。

中田:気の効いたアイデアがいくつも使われてるんですけど、どれをウリにするでもなく、惜し気もなく全体の一部にしちゃう。思わず前面に出さないで、さらっと使っちゃう。


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究極のVR

雪駄:ある意味、すごく贅沢な作り込みですよね。

jes:俺がなにより押したいのは、NPCが都合のいい存在でない点ですね。大抵のゲームのNPCは、プレイヤーにとっては都合のいい存在にしかなれないのですが、GPMの場合はそうでない。ここはすごく評価したい。

C.F:重要なポイントですよね。NPCの行動決定にニューラルネットでも使ってるのかなぁ、と。というか、よくよく考えるとゲーム内世界全体がニューラルネット的なんですよね。

雪駄:ですね。GPMのシステムって、ゲーム内世界を構築するシステムと、それに介入するシステム、というふうに見れると思うんですよ。

中田:ゲーム内世界からすれば、プレイヤーも世界に参加している一人、単に思考ルーチンの変わりにプレイヤーがコントローラ握ってるに過ぎないんですよね。

雪駄:世界の中でNPCと等価になるのに、AIRがあれだけ回りくどい方法で実現したことを、あっさりと超えていったというか。

中田:結局、まず自律系ありき、でシステムを組んだからこそできたことだと思うんですよ。プレイしてて、気が付くと自分が組み込まれている。これって、ある意味究極のヴァーチャル・リアリティですよね。

C.F:そうですね

jes:そこで、組み込まれていると感じられない人は、戸惑ってしまうようで。なぜNPCが不可解な行動をとる? とか感じる人は、特にそう。

中田:「攻略対象」とか「数値データの集まり」と考える限り、面白さはわからないでしょう。恥ずかしくてもなりきって入り込まないといけない。

C.F:でも、「恥ずかしいけど」って躊躇がないと、やっぱり駄目ですね。

jes:なんか、PBMの理想形を見てるような気分です。もしかすると、GPMはPBM初心者向けの最高の練習材料なのかも

中田:ただ、自律系に入らせるだけだったら、前例はあるんですよ。「どきどきポヤッチオ」とか「ワールドネバーランド」とか。

jes:あとは、「悠久幻想曲3」とかもですね。

中田:ええ。でも、そういった前例とGPMの大きな違いは、プレイヤーが特別だと、認めるところなのかなと。

雪駄:ゲーム中の言葉で言うと「動きが違う」ですね。世界では設定されない、PLの思考が介在するか、っていう。

jes:あとは、「勝つまで学習し続ける」とか。

中田:起こってることは、こうですよね。絶望的な世界観、そこでの営みに組み込まれる、君は変えることが出来ると告げられる。 これを視点という話で考えるなら、一度視点をゲームの中に誘導された後で、ゲームの外に戻れと言われるわけで。しかも、君が入り込んだこの世界を愛すればこそ、と。

雪駄:上手いですよね、本当。YU-NOの神奈シナリオなんかでも似たようなことやってますがあれはPC = PLだから、実は全然違う。

C.F:それって、AIRに似てませんか。世界を愛すればこその撤退とか。

中田:すごく、似てると思います。最後にPLの負う役割が、英雄か傍観者かという違いこそあれ。

C.F:責任を取るって点では、最後まで見届けるAIRと、英雄になるGPMとで、大きくは変わらないと思いますけどね。

jes:んーと、ちょっと話がそれて、「ペルソナ2罪&罰」の話なんですけど。 「罰」では「罪」の記憶が一切失われてるんです。ですが、たった一人だけ「罪」の記憶を持ってる人間がいる。それがきっかけになって「罰」の事件が起こる。 そういう明示はないのですが、これってPL = 介入者 なんじゃないかと。 事件を引き起こすのもPLなら、それを解決するのもPLだという点で。

中田:それは、ゲームってものの持ってる本質的な性質ですよね。始まりも、終わりも、本来はプレイヤーの選択の結果としてしか起こりえない。

雪駄:…筈なんだけど、プレイヤーではなくゲームの製作者の決めた結果にすぎないんじゃないか。その絶望というかやるせなさというか、それがAIRでPLが傍観者に回された理由なんじゃないかと思うんです。 PLは運命をハッピーに変えられる、特別な存在だっていう幻想を剥ぎ取ったのがAIR、逆に変えられるところに意義を見出そうとしたのがGPM、なのかなと。 だから、AIR・ONE論者には是非ともGPMやらせたいですね。

C.F:ああ、同感ですね。


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現実からの介入・現実への介入

中田:さっき、PBMの理想系、って話がでましたけど、自分の選択がなにかを変えられるかもしれない、という期待感・雰囲気は、PBMとかに通じるものがありますよね。

jes:そうですね。

中田:ところでPBMと言えば、近頃のアルファのWebページ、そこの、GPMの世界設定Q&AってBBSなんですが。最近、ユーザーが制作者の施した世界の謎に挑む、というような形になってるんですよ。(*1)

雪駄:へえ。

中田:そろそろ収束してるかと思うんですけど。ただ、実はそれってGPMそのものの構造と同じなんじゃないかと、思うんです。プレイヤーという自律存在が集まった系が存在し、そこに制作者がいくらかの調整を加えてる、という。

C.F:なるほど。

jes:たしかに、そうかも。

雪駄:プレイヤー同士の議論ってあそこで行われてるんですか?

中田:議論というよりは推理というか……ネットゲームが行われてる、と認識するのが正しいと思うんですけど。

雪駄:推論=アクション、返答 スタッフの返答=リアクション、ですか。

中田:ええ。そんな感じですね。とにかく、制作者側は、明らかに誘ってると思うんですよ。目的がどこにあるかは、不明ですけど。

C.F:そうした中から、PLが芝村=製作者になる事を狙ってるんじゃないですか?

中田:「俺たちの用意したもの(=GPM)と戦えるお前らの決戦存在を準備しろ」と?

雪駄:そういえば…裏設定=公式設定じゃない、みたいな発言があったとかなかったとか。だけど、そういう裏設定について、敢えて流出させてるようですし、たしかに狙いがあるのかも、ですね。 ただ、そういうのはどうも。「パッケージに納められたもの以上でも以下でもない(*2)」ってのと、同意見なので。

jes:俺も同感です。

C.F:パッケージ以上でも以下でもないってのは、ちょっと保守的な気がするのですが

中田:いや、商品としてのゲームは、パッケージ以上でも以下でもないでしょう。 それを起点に、外側に遊びを広げていくのは自由ですけど、少なくとも商品としてはそこで完成してないといけない。もっとも、その点で考えても、GPMは十分以上に合格点ですけど。

C.F:GPMのSランク後に出てくるメッセージ「次のミッション」が、WEB板での活動に(も)ある……と思うんですけど。

中田:それは狙ってるかもしれませんね。ただ、GPM的には選択するのはあくまで自分なので、Webで制作者の仕掛けたゲームに参加するのもいいし、金輪際縁を斬ってもいい。

雪駄:謎への議論ていうのは、エヴァやONEでもあったわけですよね。それらとGPMが違うのは、訊けば答えが返ってくるっていうところだと思うんですがそれでゲーム、というのはちょっと良く判らないんですけど。

中田:ゲームという言い方がよくないのかもしれませんね。ゲームというよりは、環境。エンターテイメントとして参加できる場、だと思うんです。

C.F:環境の割には、口うるさい管理人がいますけどね。でもまぁ、場、というのはあたっていると思います。パッケージにしろ、Webにしろ。

雪駄:いや、管理人=ホストって考えると、あれで正しいかも。しかしなるほど、参加できる場、ですか。

C.F:となると、なおさらGPMが一種のVRに思えてきますね。

中田:あと、アルファのWebの記述から読める話なんですけど、VRというか、自律系としてGPM以上のものを作りたい、という指向もあるみたいです。もっと自由に動くものが作りたいと

C.F:こっち側の世界と対置しうるだけの、もう一つの世界を作りたいんでしょうか

雪駄:私が思うのは、まず「世界」を作って、そこに介入するというツールを作って、で、それで商売するというシステムを作りだそうとしてんじゃないかとか思うのですが。

jes:それこそ「電脳天使」の話になりますね(笑)

中田:あるいは、自律系とその効果的な誘導法とを確立して、それで表現をしたい、とか。

C.F:世界とそこに介入するデバイスを作るってことは、向こうからこっちに介入の窓を開ける事になりますなぁ。

中田:それは、既にGPMでも介入されてますよね(笑)

中田:ハマッてる人にとっては、確実に介入されてますよね。生活変わっちゃう。

C.F:そうですね。

jes:滅茶苦茶介入されてます(笑)

C.F:実は介入は相互的に起こってて、世界はとりあえず2つになって再び1つに収束する、というか。

中田:よく、ゲームを捕まえて「現実じゃない」なんて言われることがありますけど。最近だと、新宿の爆弾事件とマンガ、とかがそんな感じですか。けど、そうじゃないですよね。ゲームがあることも含めて、現実なわけで。

雪駄:ゲームが現実であるというそれを証明してみせよう、みたいなところがあるんですかね?

中田:そのへんを、どこまで自覚してるのかわからないけど、少なくともある程度は狙った上で、GPMというものは仕掛けられてるんじゃないかと。そう考えると、この現象自体が、とても面白いなぁ、と思います。


(*1) 収録時点での話。現在その形式は既に終了している。

(*2) http://www.mars.dti.ne.jp/~rms/kaze52.htm#001125、風虎日記 2000年11月25日付からの引用。


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まとめ……ない(笑)

中田:他にもいろいろ語れることはあるんですけどね。GPMの物語の提示のしかたとか。

雪駄:あうー(苦しんでいる)

中田:あとは、情報の提示の仕方とかもですか。盛りだくさんなだけに、そりゃもういくらでも。

jes:ちょっとここでは語り尽くせない、ですかね。

中田:まぁ、そうですね。サルゲー特別篇でフォローはされてますけど、GPMってゲーム一本が、本当にいろいろと革命的な事を内包してるってことは、まだまだ語りきれてないな、と。それだけ可能性の詰まった凄いものだ、とにかく一度やってみろ、なんて話にまとめてもいいんですけど、それよりはむしろまだ語りたいな、と思うわけで。 でですね、ネットで引き続き話を、ってことにしたいなと思うわけです。原稿上がってないのも含めて。

雪駄:あうううう(もっと苦しんでいる)

中田:いや、いぢめてるつもりはないんですよ。Webの更新も滞ってますし(汗) えー、とにかくですね、まだまだGPMについては、いろいろ語りたいと思いますんで。できれば、この本は前触れに過ぎなかった、ってぐらいまで。

jes:んな無茶な。

中田:いや、無茶だろうとですね、負けなければいつかは勝てますよ。勝つまで繰り返せば、GPM的にはOKですから(笑)