GameDeep

物語を探せ!

text by 雪駄

目次:

第1回・SLG

第2回・RPG


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1999.12.24 GameDeep vol.1掲載

2000.01.31 GameDeep-Online加筆修正版掲載

第1回

「STG」

物語にはゲームは必要じゃなかった。

ポリスノーツにも、FF7にも、メタルスレイダーグローリーにも、ゲームシー ンが邪魔だというレビューが多かった。

「ストーリー性の高いAVGはゲームであることを否定してしまう」と手塚一 郎は言った。

任天堂は「ゲームは玩具に原点回帰すべき」だと思っている。

スクウェアは「ゲームは映画のようになるべき」だと思っていた。

ナムコの作った「風のクロノア」は「映画のようなゲームを創りたい」とい う思いと「ゲームは映画ではない」という認識の矛盾から作られた、ゲー ムでなければ表現しえない物語だった。

唐突な始まり方ですいません。ごきげんよう。本コーナーを担当する講釈 師の雪駄です。

現在、ゲーム市場を席巻するファイナルファンタジー(以下FF)シリーズ に代表される「映画に近づいたゲーム」とは何なのでしょう?

ゲーム右翼が毛嫌いした「紙芝居ゲーム」とはどう違うのでしょう?

面白いゲームとしてではなく、面白い物語としてテーマや構造を分析・評価 されてしまうテキストアドベンチャーゲームとは何なのでしょう?

ゲームでなければ表現しえない物語とは、どういったものなのでしょう?

私はコンピュータゲームという表現を愛する者として、映画や紙芝居という 「物語」とコンピュータゲームの関係について深く考えたり考えなかったりし ながらこの文章を進めていきたいと思います。


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そもそも、コンピュータゲームが物語を語りだしたのは何時の事なのでしょう?

表1‐1:コンピュータゲームの歴史
1962年スペース・ウォー!
1971年コンピュータ・スペース
(世界初の業務用ゲーム機。
   内容はスペース・ウォーと殆ど同じ)
1972年ポン
1973年ブレイクアウト(俗にいう「ブロック崩し」)
1977年サーカス、スペースインベーダー
1983年ゼビウス
ファミリーコンピュータ発売

コンピュータゲームが生まれたのは1950年代後期。有名なのは62年にマサチューセッツ工科大学(MIT)の AIラボに所属するスティーブ・ラッセルらが開発したスペース・ウォー!で、他の多くもこれの改造品だったといわれています。 スペース・ウォー!は画面中央の敵空母を周囲からのミサイルでやっつける、宇宙が舞台のシューティングゲームであり、このゲームで表現されているのは、宇宙戦争という物語ではなく、宇宙戦争という状況と空母を破壊するという目的が設定された宇宙戦争シミュレーターとでも言うべきものでした。

その「設定」はプレイヤーにとってどれほどの意味を持っていたでしょうか?

プレイヤーがスペース・ウォー!をプレイする理由は、宇宙戦争の物語を見ることではなく、弾を撃って空母に命中させるという、パチンコやピンボールの台に立って穴にボールを入れるという遊技と大差はなかったように思われます。パチンコやピンボールの台にも雰囲気づくりの設定(コミックを原作にしたり、オマージュした物が多いですね)があるように、スペース・ウォー!という生まれたてのコンピュータゲームは、パチンコやピンボールのような遊技機械に非常に近い、新しい表現の遊技機械だったように思われます。

事実、アーケードゲームはノラン・ブッシュネルという一人のエンジニアが「ピンボールマシンのようにスペース・ウォー!を 25セントコイン一枚で街でもできたら皆が喜ぶに違いない」との発想から作られたコンピュータ・スペースというゲーム機から始まったのです。

この後、ポン(現在のエアホッケーのようなゲーム)やブロック崩しスペースインベーダーとコンピュータゲームは市場に受け入れられやすいように改良され一般に広がっていきます。これらはピンボール台と同じギャンブル性の無い遊技機械として市場に受け入れられたのであり、映画や小説のような物語表現ではありませんでした。

黎明期、コンピュータゲームはパチンコやピンボールと同じラインで語るべき新しい遊技機械であり、雰囲気としての「設定」があっても、それは物語を語る装置でも表現でも無かったようです。(現在のアーケードゲームにおいても根本が遊技機械であるのは変わっていませんね)

さて、コンピュータゲームが大ヒットすると後続の会社がコンピュータゲーム業界に参入し出しました。

同業種の業界において、一番大切なのは同業他社との差別化です。

しかし新規参入会社はコンピュータゲーム作製技術において、先行した会社に一歩も二歩も出遅れ、先行したゲーム機械のコピーを作る事しか出来ず差別化を行うのが困難な状況でした。

そこで彼らはゲーム機械はそのままに、雰囲気や設定の違いを差別化の方法として打ち出します。

パチンコやピンボールと同様、同じくらいの玉の出やすさギミックの面白さであれば、見た目が奇麗だったり、設定が時流に合っている方がウケやすいだろうというわけです。

しかし、コンピュータゲームは黎明期、キャラクターはすべて荒いドット。差別化できるのは設定くらいのものです。

敵をインベーダーではなく悪魔にしよう、攻撃するのは移動砲台、守るものは自機ではなく王様に…

ドットで描かれた記号の形が変えられる事で、同じゲームは元になったゲームとは別の雰囲気や設定を得ます。

色や設定が違う、しかし同内容のゲームが生まれます。

多くの「本質的には同じゲームだが設定が違うゲーム」が生まれ、それに人気不人気が生まれます。

風船を撃ち落とすのも、インベーダーを撃ち落とすのも、まったく同じ作業でバランスも変わらないのに人気に違いがありました。

それは、設定が違うことによる「ゲーム操作の意味あい」の違いによる人気不人気でした。

パチンコやピンボールでは設定は飽くまで雰囲気に過ぎず、「打ち出した玉を穴に入れる」という操作の意味合いは変わりません。

しかしコンピュータゲームではキャラクターという記号、もしくはちょっとプログラムを変える事でまったく意味が変わってしまうのです。

インベーダーを戦闘機の弾丸で撃ち殺す殺伐としたゲームも、インベーダーを炎に、戦闘機を放水車に変えれば消火作業ゲームです。

この「本質的には同じゲームだが設定が違うゲーム」という存在は、コンピュータゲームがそれまでの遊技機械とは違った性格を持っていることを浮き彫りにしました。

パチンコはパチンコ、ピンボールはピンボール、どこまで行っても「打ち出した玉を穴に入れる」遊技ですが、コンピュータゲームはその設定によって、プレイヤーに「玉を打ち出して目標に当てる」という遊技に、それとは別の「インベーダーを撃滅する」「消火作業を行う」という意味合いを持たせられるという特徴を持っていたのでした。

コンピュータプレイヤーには宇宙戦争ごっこ、消防士ごっこという「ごっこ遊び」的な要素、言い方を変えればシミュレーター、バーチャルリアリティ的な面を持っていたということです。

それに気付いた製作者たちは、こぞってプレイヤーが「何ごっこ」を求めているかをリサーチし、上手いごっこ遊びの設定を探し、元々のゲームの設定をそれに変えていきました。

そして、こうした設定の変化は、ゲームのルールもまた少しずつ変えさせていきます。

例)スペースインベーダーから派生したキング&バルーン

さらに骨子足るゲーム製作の技術が競争の中で磨かれ、後続の会社が新しい「ごっこ遊び」の為の新しいゲーム機械を作ると、また同様に追随する会社が差別化を狙って雰囲気、物語を変えてアレンジするというイタチごっこが続き、ゲーム製作の現場では「新しいゲーム機械」の製作競争と並行して、差別化の為のCGの表現技術、さらには効果音という要素の進化、競争というものが起こっていきました。

そうした中、コンピュータゲームの差別化の為の後づけしかなかった筈の記号、効果音といった要素を表現する部分は一人歩きを始めます。

技術の変化は記号をCGというであると、効果音はゲームミュージックという音楽であると受け手や製作者に認識させるに至ったのです。

コンピュータゲームサーカスの音楽でデビューしたYMOが、後にテクノポップの旗手として人気を得ていったのは有名な話ですね。

こうして、CGとGM、それぞれの製作者はゲーム製作職人ではなく、絵描き、ミュージシャンとして如何に魅力的にゲームという媒体で自分の作品をプレイヤーに感じさせるかということに意識を向け始めます。

何時の間にか、遊技機械としての面白さとは別のテーゼをコンピュータゲームは得ていたのでした。

「何ごッこか?(どういう設定か?)」「絵は美しいか?」「音楽は良いか?」


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そんな中、スペース・ウォー!スペースインベーダーという、シューティングゲーム直系、STGの流れにゼビウスという歴史的なゲームが現われます。

ゼビウスがどんなゲームであったかは今更言うまでもないでしょうが、それを初めて目にした人間の驚きについては書き記しておかなければなりません。

ゲームを始めると、僕の分身である戦闘機が、広い森林の上空を飛んでいる。森林の左側に海が見える、奇麗だ。戦闘機には、白地でグレーのラインが入っている。テーブルの説明カードによると、名前は、ソルバルウというそうだ。

そして、どこからともなく、グレーのリアルな敵飛行物体が、次々と飛んでくる。なんて説明したらいいのか、金属のような、石のような色をした立体的なキャラクターが、いっぱいやってくるんだ。

こんな謎の敵キャラクターを、撃ち落としていくゲームだった。一方、地上には、やはりグレーの、ドームのような建物が、点々と建っていた。そのドームの窓に、赤い光がゆっくりと点滅していた。これは、神秘的な光景だった。

遊んでみて、変わってるなと思ったのは、まず敵のキャラクターたちの攻撃が、押し寄せるようにたくさん来たかと思うと、急になにも出て来なくなったりするところだ。あれはどうも変な感じがする。そんなゲームは、いままでやったことはない。しゃっくりと同じで、今にも出そうでなかなか出てこない、でないなと思ってると出たりする。

敵が全然攻撃してこないとき、見えない敵の圧迫感を感じるんだ。

ゲームの最初に出てくる敵キャラクターは、結構印象的だった。こいつは、自分の戦闘機に近づいてきたかと思うと、すぐに逃げるように去ってしまう。まるで偵察機のようだった。僕は、敵キャラクターたちに、意志があるように感じられてならなかった。

以上はゲーム「ポケットモンスター」の作者として知られる田尻智氏が著書「パックランドでつかまえて」においてゼビウスに遭遇したときの事をつづった文章です。

ゼビウスはCGと動きによって細やかな性格設定を行った敵キャラが多数登場し、その敵キャラたちと背景CGでゲームのバックボーンにある、製作者が作り出した細かな設定をゲームの中で語りはじめたゲームでした。

面を追うごとに背景が変化し、現われる敵キャラの動きや種類も増えていきます。最終面である16面をクリアすると7面に戻り以後ループするということで、物語の終わり、エンディングこそ語られはしませんでしたが、面をクリアする事で物語が展開していったのです。

それまでのゲームでは、ゲーム筐体に備え付けられた説明カードに書かれた「ゲームの目的」、つまりはそのゲームが何ごっこであるかを示す以上の設定はゲームの中にはありませんでした。ゲーム的な操作に反応する隠しキャラは飽くまで遊技機械的な「仕掛け」であって、それ以上のものを示すには至っていませんでした。

しかしゼビウスでは、面をクリアするごとに新しい設定の断片が現われ、プレイヤーが設定の全体像を再構築したとき、そこにゲームの説明カードに書かれた「ゲームの目的」以上の物語が生まれていったのです。

ゼビウスはやがてその世界観を哲学とまで呼ばれ、世界観を巡っての議論(などというほどの物ではなかったかもしれませんが)がエスカレートし、有名なゼビウス星のデマを生み出すまでになります(ちなみに、デマを広めてしまったのは田尻氏です)。ゼビウスは遊技機械としての面白さ以外の要素、製作者がゲームに添えた「設定」「物語」がプレイヤーを熱狂させうると初めて示したゲームだったのです。

ゼビウスは大ヒットし、以降のゲームはゼビウスに倣って、ゲームの目的示唆以上の細かい設定を作製し、積極的にゲームに付加しようとしはじめ、やがて、膨大な設定を操作キャラという1視点で連続して時系列に沿って見ていくSTGというスタイルは「物語」としての様相を呈しはじめました。

現在では初めから「物語」としてのスタイルをとり、面クリアは「物語の次のステージ、次の章へ進む」という意味合いとなり、敵キャラの性格付けはより顕著になり、最終面のボスを倒したとき「物語が終わり」、映画のようなスタッフロールが流れるようなゲームも珍しくありません。

アーケードにおいて、コンピュータゲームが本格的に物語を語り出す基礎を作ったのは1983年 ゼビウスだったといえるでしょう。


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さて、以上まで読んできた方はAVG(アドベンチャーゲーム)やRPG(ロールプレイングゲーム)の話が全く出てこないのを少し不思議に思ったかもしれません。

ゼビウスの1983年といえば、その前にゾークだって、ウルティマだって出ていますからね。

実は今まで書いてきたゼビウスまでの流れは、スペース・ウォー!がMITの研究室から市場に出たことから始まったコンピュータゲームの進化の一方だけ、アーケードゲームの流れだけを示した物なのです。便宜上「STG」の流れとでもしましょうか。

そう。コンピュータゲームの進化には、もう一方の流れがあります。 そちらの流れこそがAVGRPGというコンピュータゲームのジャンルを生み出した流れであり、そしてそれはスペース・ウォー!とは無関係の遊びを源流としています。

AVGやRPGというのはコンピュータゲームの元祖スペース・ウォー!が発展進化した物ではなく、別種の遊びの流れがスペース・ウォー!の生まれたMITに派生し、そこでたまたまコンピュータという機械に出会ったことで生まれた物であり、スペース・ウォー!とは直接的には全く無関係のゲームジャンルなのです。

えー、長くなってきたので一旦区切り、このもう一方の流れについてはまた次回ということにします。

ちなみに、次回語る事柄、コンピュータゲームのもう一つの流れ「RPG」についてですが、引き合いに出すゲームを以下に記入しておきますので。興味のある方は各自で予習などしておいて下さい。

…なんか、これだけで分かる人は次回において何が書かれるかを判ってしまうような気がしないでもありませんが、ま、それはそれとして。

表1‐2:RPGの歴史
1971年「Chainmail」
  (ミニチュアウォーシミュレーションゲーム)
1974年「Dungeons & Dragons(R)」
  (世界初のTRPG<非コンピュータゲーム)
1977年「DUNGEON」(MITにて完成。後のゾーク)
1980年「Ultima」
「Rogue」(1975年完成との説もあり)
1981年「Wizardry」
「火吹き山の魔法使い」(世界初のゲームブック)
_GameDeep

1999.12.24 GameDeep vol.1掲載

2000.01.31 GameDeep-Online加筆訂正版掲載

「小便は済ませたか?
 神様にお祈りは?
 部屋の隅で奥歯をガタガタ言わせて命乞いする心の準備はOK?」
(TRPG「ダークコンスピラシー」、もしくは
   アーケードゲーム「ハウス・オブ・ザ・デッド」プレイ中に)

第2回

「RPG」

ごきげんよう、雪駄です。

さて、今回はAVGやRPGというジャンルを生み出した、コンピュータゲームの もう一方の源流について。

あ、冒頭の文句は本編とは無関係なので忘れて下さい。

言ってみたかっただけです。

今回は前回予告した通り、コンピュータゲームのもう一つの流れの話です。

この流れは源流がコンピュータゲームではなく電源を使わないテーブルゲー ムにあるため、コンピュータゲームの話になるまで少々時間がかかりますが、 RPGと呼ばれるジャンルのゲームが好きな人間なら、覚えておいても損がな い話でありますので、どうか最後まで眠らずにお付き合い下さいませ。

それでは始めましょう。


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古くからアメリカやヨーロッパではチェスの発展系のような形である、多数のミニチュア・フィギュアを大きなテーブルの上でルールにしたがって動かし、戦争を再現するミニチュア・ウォーシミュレーションゲームが趣味のひとつとして受け入れられてきました。

かつて日本でも流行したボードシミュレーションゲームや、コンピュータゲームの大戦略等の大元ですね。

そんなミニチュア・ウォーシミュレーションゲームの一つであるChainmailは中世の騎士同士の戦いを扱うゲームでした。

テーブルに敷いたゲーム盤をマップに、ユニットをフィギュア、ユニットのステータスを紙のシートに、命中やダメージの判断を計算式に乗っ取ったルールと乱数としてのサイコロの目で出して戦闘を行う、まぁ、言ってしまえばコンピュータを使わないでファイアーエムブレムをやるような物です。

さてChainmailが発売された頃、アメリカではファンタジー小説The Lord of the Rings(指輪物語)[J.R.R.トールキン]が大流行していました。

その影響か、Chainmailの第2版(1972年)の選択ルールとしてファンタシィ・サプリメントが発表されます。

魔法使いやドラゴン、エルフ、ドワーフなどがルールに追加され、指輪物語の要素が組み込まれたのです。

指輪物語のような世界をゲームで遊べるというのが売りだったのでしょう。

この事は世界だけでなく、一方のプレイヤー側の騎士や魔法使いを指輪物語のような物語の主役として認識させ、もう一方側のプレイヤーは組み込まれた物語的要素を表現する為にドラゴンなどの悪役を演じる事になり、勝敗で物語が完成するという、ウルトラマンごっこにおけるウルトラマンと怪獣の役割分担のような、一種演劇じみたゲームを生み出す事となります。

これがRPGと呼ばれるゲームの黎明です。

1974年、その演劇的になったChainmailを更に推し進める形で世界最初にRPGを名乗るゲーム、Dungeons & Dragons(R)(以下D&D(R))が生まれます。

プレイヤーに敵味方という概念が無くなり、迷宮に潜る物語の主人公一行をプレイするサイドと、彼らが挑む気の利いた謎や怪物といった艱難辛苦が待ち受ける迷宮を用意し、主人公一行に立ち塞がる怪物を演じたり、罠を演出しながらゲームを進めていくダンジョンマスターというサイド、二サイド非対立型のゲームが生まれたのです。

D&D(R)の迷宮攻略側のプレイヤーが望むのは、スリリングな迷宮攻略のゲームとしての面白さであり、指輪物語のような体験でした。

ダンジョンマスター側が望むのは攻略側を全滅させる事ではなく、攻略側にスリルと興奮を与える事、そしてゲーム終了時に魅力的な物語を攻略側のプレイヤーと自分が作り出していることでした。

D&D(R)は世界で初めて勝敗でないものを目的とした多人数参加ゲームだったのです(むしろゲームというより、ジェットコースターのようなアトラクションや演劇、ごっこ遊びに近いかもしれませんが、複数の人間が同じルールにのっとって、その割り当てられた役割(主人公サイド、ダンジョンマスターサイド)をどれだけ上手く演じられるかを競う遊びはゲームと呼ぶべきでしょう)。

そして、プレイヤーやダンジョンマスターがD&D(R)というゲームを遊ぶ目的の中の一つには、「物語」の体験と作製が含まれていたのでした。

この時、小説や映画、演劇等の作り手たちと同じように、ゲームのプレイヤーたちは「物語」を求め、作り始めました。当然、物語製作は誰にでも出来ることではないので、ゲームメーカーは遊び手たちをサポートするためにシナリオ・サプリメントや世界設定の資料集を販売していきます。

主人公サイド、ダンジョンマスターサイドがゲームルールを元にそれぞれの役割を演じ、ゲームルールを元に物語を作製し体験していくゲーム。こうしたゲームはRPG(ロールプレイング・ゲーム)と呼ばれました。現在、日本ではコンピュータゲームのジャンルとしてのRPGと区別する為、TRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム)と呼ばれています。


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このRPGこそがスペース・ウォー!と並び、そしてAVG、そしてコンピュータRPGというジャンルを生み出した、コンピュータゲームのもう一つの源流なのです。以後、便宜上このD&D(R)からの流れをRPG、スペース・ウォー!からの流れをSTGと呼称します。

D&D(R)は大ヒットし、それを模倣したTRPGが発売され、RPGという新しい遊び、ゲームの流れは学生を中心に広まっていきます。

そんな中、1977年、MITの或研究室で世界初のテキスト・オンリー・アドベンチャーゲームDUNGEONが生まれます。

後に分割されZORK123として発売されるこのゲームは、その名の通り地下 世界を探索するゲームであり、D&D(R)において攻略サイド(プレイヤー)とダンジョンマスターが

プレイヤー    「扉を開ける」
ダンジョンマスター「鍵がかかっているね」
プレイヤー    「さっき拾った錆びた鍵を使う」
ダンジョンマスター「鍵は合わないようだ」

…といったような会話で進めていたダンジョン攻略を、コンピュータ相手に筆談で行うといった風情の作品でした。

DUNGEONでは、D&D(R)と同じように、プレイヤーは考えつく限りの事を大抵出来ます。

鏡を割ろうが、ロウソクの火を消そうが、プレイヤーの思いのままにキーボー ドに入力すればよほど変な事でない限りDUNGEONはその結果を出力しました。

「叫ぶ」を入力すれば「うわぁぁぁ!」と返って来ましたし、既に開いている ドアがある場面で「ドアを開ける」と入力すれば、「目は大丈夫ですか?」と 返してきたのです。

プレイヤーはそうした行動の結果としてダンジョン内の隠し扉を見つけたり、 宝物を手に入れたり、運悪く罠を発動させてしまって死んでしまったりします。

それがDUNGEONというゲームでした。

これはまさしくD&D(R)における攻略側プレイヤーとダンジョンマスターの会話であり、ある意味でのD&D(R)のプレイ風景の再現でした。

コンピュータの中にダンジョンマスターがいるようなゲーム、DUNGEON。

世界初のAVG、DUNGEONはD&D(R)の影響下に生まれたゲームであった事が伺えます。

恐らく、D&D(R)の熱心なプレイヤーが、一人でも遊べるD&D(R)を作ろうとしてコンピュータを使用したのでしょう。奇しくもそれはスペース・ウォー!と同じくMITで生まれました。

そしてスペース・ウォー!がコンピュータ・スペースとしてアーケードに出ていったように、DUNGEONもまた、ZORKとして市販されていくのです。

こうしてSTGという本流が別れていただけのコンピュータゲーム業界にRPGというSTGに並ぶ、大きく新たな流れが流入します。 RPGのプレイヤーや、ZORKのプレイヤーはやがてDUNGEONとは違った形でRPGの面白さを コンピュータ上で表現しようとして、DUNGEONには無かった数値や乱数的な戦闘の面白さを表現した RogueUltimaWizardry等が生まれ、ZORKを模倣したテキス トアドベンチャーが製作され、これらのRPG的コンピュータゲームと同時期に、 DUNGEONの影響が伺える書籍媒体のRPG、 ゲームブック火吹き山の魔法使いが生まれ大ヒット、 やがてそれが逆にTRPG化されたりコンピュータRPGに影響を与えるなど、 RPGという勝敗以外の物を目的とするゲームは そのメディアムーブメント同士が影響しあい、 非常に混沌とした進化を続けていきます。

※この間、スペース・ウォー!から連なる一連のアーケードゲームを主体とするSTGとRPGという大きな流れもまた相互に影響しあっていたと思われます。STGしか知らなかったコンピュータゲームのプレイヤーや製作者にRPGという新しい流れが強い影響を与えたことは、エニックス刊「ドラゴンクエストへの道」においても描写されていますし、基本的に数値のやり取りやイラスト、ミニチュアを元にゲームを行ってきたRPGプレイヤーが、ゲーム画面内で実際に動かせる宇宙船やモンスターに憧れを抱き、自らの想像をより多くの人に伝える為にコンピュータでRPGを表現しようとしたダンジョンマスターがいたことは想像に難くありません。

時代的に見てもSTGがゼビウスで物語を得る事となったきっかけにRPGという流れの影響は少なくないでしょう。

これはコンピュータゲーム雑誌にTRPGの記事が多くのっていたことからも伺 えます。物語をプレイヤーに体感させるRPG系もSTG系も「ごっこ遊び」という相似 の要素を含んでいましたし、電源のある無し、RPGかSTGかという流れの違いで 区別することなく、製作者もプレイヤー達もそれらを同じ「ゲーム」として受け入れ ていたのでしょう。

さて、火吹き山の魔法使いは書籍故の文章やイラストの美しさをプレイヤーに 与え、今までは体感でしかなかったRPGの「物語」に客観性を与えました。

それはコンピュータRPG、AVGにも波及し、ゲームをクリアする為の情報でし かなかったテキストに、文芸的な美しさが求められるようになっていきます。

プレイヤーの行動に対するリアクション、情報でしかなかったテキストが小 説のように一人称や三人称で統一され、連続した読み物として書かれるようにな り、ダンジョン探索ではなく殺人事件の捜査と解決を目的としたゲームが生ま れ、それがミステリー小説と結びついた事によって事件はドラマ性を増してい きました。

クリアした後、一本の小説として読む事が可能なテキストアドベンチャーな どが現われたのもこの頃です。

コンピュータRPGやAVG、ゲームブックのプレイヤーは自分がプレイするゲー ムに客観的な物語としての美しさを求めるようになり、製作者もそれを受け、 RPGというゲームの流れは、用意された物語を見る、見せるという事に比重 を置くようになっていったのです。

RPGという物語の作製と体験を根幹の一つに置くゲームの流れは、コンピュ ータゲームに派生し、コンピュータRPG、AVGというやはり物語の体験を根幹に 置くゲームを生み、そしてそれはゲームに物語を見せるというテーゼを与えま した。


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1980年代。

STGは物語を表現する事をゼビウスで覚え、RPGは物語を表現する ことを目的の一つに置くゲームコンピュータRPGAVGという 二つのジャンルを与えました。

そして任天堂ファミリーコンピュータが世界的にヒットし、 家庭でその双方の流れを汲んだゲームがプレイされるようになっていき、 交わった流れは物語るゲーム、物語表現としてのゲーム、 ゲーム表現としての物語をより具体的に進化、普及させていくのです。

こうして物語を得たゲームは、作り手が作った物語を客に見せるのではなく 「体感させる」事が出来る殆ど唯一にして初めての商業メディアとなりました。 言ってしまえば、筋書きが用意された高度なごっこ遊びを体感させるシミュレー ターなのですが(格好つけてバーチャルリアリティともいいますね)。

しかし、新しい物語の表現であるゲームとは熱狂を持って受け入れられまし たが、新しい表現であるが故に作り手側にはそのノウハウが無く、物語を志向 するニーズに答える為に物語を体感させるプロではなく、 物語を見せるプロを起用してしまい、ゲームではない 映画や小説の出来損ないをゲーム機上で表現してしまうといった状況が生まれたり、 逆に見せる側の人間や全く新しい才能がこの新しい表現に気付き、全く新しい形で 物語を提供し始めたりと、様々な表現が一括りにゲームという名で呼ばれるという 非常に面白い状況を生み出しました。

そして今やそれから10年以上がすぎた現在、ハードの進化により動画や音声 をゲームは得て、ゲームという表現は多くの可能性と幾つかの到達点を我々の 前に示しています。

ゲーム機上で映画の出来損ないでなく、映画そのものが動き出そうとしてい るファイナルファンタジー

借り物ではない、ゲームでしか語れない物語をプレイヤーに体感させたゲー ム風のクロノア

STGという流れはバイオハザードで恐怖を体験させる事に成功し、 RPGという流れはマルチシナリオAVGという流れを経て、サウンドノベルやるドラといった、全く新たな物語の表現形式を手に入れつつあります。

そしてまだまだコンピュータゲームという表現は進化を続けています。

※コンピュータゲームが映画になる。

それはごっこ遊びの要素を持っていたゲームがそれを放棄し始めたといえるかもしれません。

ゲーム右翼系の人が体験させずに「見せる」ゲームを嫌うのは、それが彼ら にとって愛好してきたゲームであることを放棄した存在だからなのでしょう。

彼らが嫌うFFが大ヒットしSTGが売れないのは、FFが彼ら言うところ のゲームでなく、STGがゲームだからではないかとかいう見方もあるのです が、まぁ、それはさておき。

この時代に生まれた我々は、コンピュータゲームという新しいムーブメント の目撃者です。

それは娯楽であり、遊技であり、物語であり、文芸であり、音楽であり、映 画であり、それと同時にそれらとは違った何かです。

これからコンピュータゲームという表現上で一体何が見れるのだろう。何を 体験できるのだろう。何が作れるのだろう…。考えるとワクワクしませんか?

さて、以上でコンピュータゲームが物語を如何にして得たかの説明は 一応の終わりです。

コンピュータゲームにはSTGとRPGという流れがあり、それぞれ別のル ートで発展し、物語を得、別々の流れとして影響しあいながら発展していっ たのですね。

二つの流れが交わるきっかけとなったファミリーコンピュータの普及、それ によって生まれた二つの流れの結晶であるアクションRPGゼルダの伝説、 物語の再現、生成という見地から生まれたTRPGとそれから生まれた物語 ドラゴンランスロードス島のヒットなど、 時代背景についてはまだ色々と 書きたい事もありますが、それはまた、別の機会に。

次回は「物語を得たゲームが成し遂げたもの」について。 「体験する物語」と「見せる物語」の違いについてなど語りたいかと思います。

それでは、また。


参考文献・参考サイト(一部)
田尻智「パックランドでつかまえて」(JICC出版局(現・宝島社))
HipponSuper! 1991年8〜9号(JICC出版局(現・宝島社))
平林久和「ゲーム業界就職読本」(アスキー出版局)
Roguelikeのページ
http://www.kako.com/jnethack/roguelik.html
Cultists Role-Plaing Game Pages
http://www.edit.ne.jp/%7Ecultists/index.html
SFオンライン内 RPGのすすめ
http://www.so-net.ne.jp/SF-Online/no1_19970318/review_game_1_1.html
夢幻超人ゲイムマン
http://www.asahi-net.or.jp/~FF4A-TKY/index.htm
Kitaji's
http://member.nifty.ne.jp/~kitaji/
Wizardry Unofficial Fan's World
http://www1.coralnet.or.jp/u2_iso/wizardry/index.htm
Scoops RPG
http://www2.osk.3web.ne.jp/~benbrand/rpg/rpgnet/index.shtml
赤尾晃一の雑文の舘
http://www.akao.to/index2.htm
Tak's NetworkRPG Research Room
http://www.hdt.co.jp/staff/t/tak/nwrpg_res.html
HELLO,SAILOR!
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley/6090/Zork.htm